呉!行きました。二日目のやつ。
「あきしお」の後舵の後ろに「you me」の文字。ここから見たとき「「ユーミー」ってなんや…?」と思っていましたが、これが宮咲さんが仰っていて私自身の口からも数度出ていた「ユメタウン」なるもののスペルだと知る(「夢タウン」と書くのだと思っていた)。
↑前回の
◎宮咲さんの推しの一隻「すずつき」(通称・すーくん)が呉に現れたのが特記事項。
てつのくじら館(二回目)
決戦の時がキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!みたいなテンションで入りました(前日もすでに入っているけど)。
「館」の横の看板の「2004年あきしお除籍」の文字に、「意外と最近なんだよなぁ」的な話をしながら入館。
「ちょっと退いてもらっていいですかそこ撮ります」とか言いつつ見て回りました。
二階の最初の展示は掃海コーナー。
後述する潜水艦コーナーより密度が高いという感想。いい意味でごちゃごちゃしている。いろんな意味で掃海感がある。
特設コーナーがあって、「現代艦艇の名前の付け方」という看板には「「長すぎない」「海上保安庁で使われていない」などを考慮」という文字が。
てつのくじら館で一番読み応えのある場所が掃海コーナーだと思うんですけど、「私は潜水艦コーナーに居座るぞ!」と宣言し宮咲さんを放置して一人三階へ。
三階へのエスカレーターを上がると、一番に迎え入れてくれるのがそう……
く"ろ"し"お"""""ーーー!!!!母なる艦~~!!
なんで潜水艦コーナーってこんなに暗いんだろ……。
「戦後はじめて日本にやってきた潜水艦は、太平洋戦争の傑作潜水艦だった」。「戦後はじめて」を指す時代が昭和30年(1955年)、「太平洋戦争」終戦が昭和20年(1945年)なことを考えると、10年のブランクがあるわけで、ごにょごにょ濁してるけど結構なお古なんですよね……。物は言い方。
くろしおは貸与式典の際、艦番号表記はまだアメリカ時代の「261」(日本では501)のままです。でも艦尾には「くろしお」って書かれているのよね……。
宮「潜水艦見学行くと、乗組員さんがドヤ!って見せてくれる場所じゃないですか?」私「あるあるw」
二人でいろいろと在来型船型などの話をしてました。
宮咲さんが突如「すずつきを見に行きたい。艦船めぐりの12時便が欠航なので11時便に乗ります」とおっしゃられたので、私はてつくじに残り宮咲さんは艦船めぐりに行くという状況になりました。二人旅なのに別れちゃう。別に私たちは呉に遊びに来たわけじゃないので……。
あきしおの中を見つつ階段を降り、カフェに移動(おひとり様)。
てつくじカフェ、おひとり様用の席が出来ていた。前はなかった記憶があります……(気のせいかな?)
ここでガチャを二回回しました。前回は三回回したので我が家には5隻のあきしおちゃんがいます。
大和ミュージアム
宮咲さん待機のためにてつのくじら館でボーっとしてたら、てつのくじら館のお隣にすごく良いものがあることに気づきました。そうです。大和ミュージアムです。
↑大和ミュージアム
受付の人に「(今11時半、12時集合なので)三十分でどうにかしたい」と言ったら、めっちゃ困惑された……。
今は「長門」企画展が開催されていて、そこにめちゃくちゃ行きたかったのですが時間もあり泣く泣く断念。思いっきり速足で駆け抜けたのでほとんど内容を見れませんでしたが、「第六潜水艇」艇長・佐久間勉の遺書を見れたのは良かったです。あと迷った(最上階の室内遊園地みたいなの何?)
そうりゅうカレー(ハイカラ食堂)
宮咲さんと合流し近くのハイカラ食堂へ。てつくじカフェでケーキを食べたという誤算もあり、私は大和ラムネと大和のオムライスとを食べました。
(大和が推しの人みたい)
大和ラムネは開けたら思いっきり噴き出ました。
アレイからすこじま(二回目)
写真が無い。一日目で満足していた模様。
この後は特記することは特にないです。呉→広島→名古屋→東京まで帰りました。新幹線が一時間遅れたことがまたもや誤算なんだよな……。
めちゃくちゃ楽しかったです。ありがとう宮咲さん!ありがとうすずつき!