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戦争に国家も人も画家たちも一元化すれば愛しきボレロ/『別冊太陽 画家と戦争』を読了(観了?)

『別冊太陽 画家と戦争 日本美術史の空白』を読了しました。絵も多いので「見終わった」ともいえる……。

 

別冊太陽220 画家と戦争 (別冊太陽 日本のこころ 220)

 

別冊太陽220 画家と戦争 (別冊太陽 日本のこころ 220)

別冊太陽220 画家と戦争 (別冊太陽 日本のこころ 220)

  • 発売日: 2014/07/28
  • メディア: ムック
 

 

 戦争という一大目的のために国家も国民も軍も企業もすべてが統合されていくなかで、芸術家、あるいは彼らが作り出す芸術も無関係ではおれず、ある者は喜んで、ある者はしぶしぶと軍に国家に戦争に己の芸術を捧げた。

 芸術が人間の善や生に作用するのではなく、暴力や暴力を行使する者の「正義」に加担する、という題材は題材としては結構好きだ。「好き」と言ってしまうにはあまりに多くの人間の人生が狂いすぎているんだけど。コンテンツ的な題材として好き。私はオタクなので……。

 日本美術界は、戦争画という紛れもない日本近代美術を「日本美術史の空白」としている。なぜなら日本美術のメンツはオタクではないから。
 その「美しさ」は絵画の油絵具の色彩や光の明暗、モティーフ、構成以上のものだと彼ら美術家は知っている。その残忍なまでの美しさを持って「人を殺すべし」という扇動を行っていた。絵画の美によって模範的な死を提示していた。絵画の美によって自己犠牲の尊さを歌っていた。先人たちがそうやって絵画の美によって人間を暴力と死に追いやったことを知っている。であるからして、安直にその「美しさ」を美しいと肯定してはならないのである。 
 零戦や戦車や軍服の「美しさ」はそういった政治性を孕んでいるものであり、それを無視すること、「美しいから好き」という一種の思考停止はまごうことなき敗北なのです。そんなことを考えつつ読んだ。感想じゃねえなこれ……。

『画家と戦争』は筆者の概略と主要な絵画の紹介が多かった。銃後の絵が多かったことや、仏教との交わりなども書かれていてよかった。「国の楯」も載って〼。