ところであの時代特有の引きつるような感覚って何なんだろう?と思う。絶望的に他者に優しくない世界というか、弱者が死んでいく感じ、剥き出た暴力性というか……。「あの時代」「引きつるような」というふわふわな言葉で表現したのは、無学なのでこの私の感覚に呼応する言葉を知らないからだ(多分この観念に何かしらの単語があるんだと思う)。
「グランド・ブダペスト・ホテル」の全体を覆うのは甘いピンクで、映画全体の美術がお菓子のパッケージに描かれた絵柄のようなコミカルさなんだけど、パッケージの中身の肝心のお菓子、いわゆる映画の主題は「20世紀という暴力の時代」についての話だった。だけどそのお菓子は丁寧に包まれているので露骨なファシズムを感じることはなかった。グスタヴの最期を除いて。あの最期の唐突感は本当に卑怯だった。おそらく幸せが崩れることのあっけなさも描きたかったのだと思う。
「グランド・ブダペスト・ホテル」や『アウステルリッツ』などの作品をみるたびに思い出すのが「日本人やドイツ人のような敗戦国民であれ、絶滅計画の対象とされた究極の被害者であったユダヤ人であれ、あるいは戦勝国に属してはいても甚大な被害を被った諸国民であれ、生き延びた人間は犠牲になった仲間や隣人に対する罪悪感や恥辱に苛まれた点では同じでした」*1という言葉だったりする。
よかった。こういう創作を描いてみたい。いつもこれ言ってるけど。
追記・
Amazonレビューを見ていたら、ズブロフカ共和国のモデルの国は何度も亡国になったポーランドなのでは、という指摘があった。どうだろう。撮影はドイツ、チェコやポーランドで行われているっぽい。東欧に詳しくないのでモデルの特定に至らない。
ところで上記の引用元の『外地巡礼』の作者は、『もっと知りたいポーランド』という著作でこういうことを書いたよ~と言っている。曰く「世界史は人類に対して、しばしば「ポーランド人」であることを強いてきた〔…〕故郷に対するノスタルジーに縛られている人間、異郷の地で厳しい疎外を経験させられていると感じる人間、徒党を組む同胞たちに翻弄されてしまう自分に苛立つ人間、そうした人々は誰もがいくらかは「ポーランド人」なのである」*2。
20世紀は離散の時代で、なんなら越境文学が生まれ得る時代だった。こういう故郷に対するノスタルジーが芸術の原動力になった時代でもあった。「グランド・ブダペスト・ホテル」に漂うある種のノスタルジー(ファシズムとか国が亡ぶとか)は日本人よりもヨーロッパの人々のほうが敏感だったのではないのかな。このノスタルジーを感じれるか否かで作品の見方は変わる気がする。
記事タイトルは『外地巡礼』で引用された島尾敏雄のポーランドへの言葉です。
(20200419観了)